40代になって、このままでいいのかという焦りが強くなってきました。
仕事の成果、部下との関係、健康、スキル。そういうものを何とかしたくて、ビジネス書を買っては読んでいます。でも、ふと立ち止まると「で、私はどこまで来たんだろう?」って、よくわからなくなるんです。あれだけ読んだのに、何も変わってない気がする。
『数値化の鬼』は、『リーダーの仮面』で有名な安藤広大さんの本です。識学という会社の代表で、組織論における「徹底した合理性」で知られている方。『リーダーの仮面』を読んで、その続編的な位置づけの本書をぜひ読みたいと思って手に取りました。
タイトルだけ見ると「数字で人を管理する冷徹な手法」みたいに思えますが、読んでみたら全然違いました。
この本が目指しているのは「管理」じゃなくて、個人の「自由」と「成長」なんです。より実務や日常の振る舞いにフォーカスした、いわば「思考のリハビリ本」みたいなものでした。
私はこれまで、数字を「突きつけられるもの」として苦手視してきました。でもこの本を読んで、「数字をどう使うか」という視点が変わった瞬間、自分の努力がいかに曖昧な場所に漂っていたかを思い知らされました。
私の目標設定は「願望の羅列」だった
恥ずかしい話ですが、私のこれまでの目標設定は、今思えば「願望を並べただけ」でした。
例えば健康管理。ジムには通っています。でも「夏までに腹筋を割りたい」と漠然と考えていました。習慣化も同じです。「毎日、隙間時間に英語の勉強をする」と決めて、3000円の英語アプリを購入しました。最初の2週間くらいは使っていたんです。でも「今すぐ話せないと困るわけじゃないし」と言い訳して、いつの間にかアプリを開かなくなっていました。
仕事でも「部下への指導力を高めて、頼られる先輩になろう」と心に誓っていました。でも実際は、部下に仕事を任せようとしても「ああ、これ説明するの面倒だな」「結局自分がやった方が早いな」と感じて、指導といえることはできていませんでした。
どれも前向きな目標に見えます。自分でも「ちゃんと改善しようとしている」という満足感がありました。
で、結果はどうだったか。
夏が来ても腹筋に変化なし。英語アプリは通知もオフ。部下との関係も「なんとなく」のまま。なぜ、努力が形にならなかったのか。
この本を読み進めるうちに、その理由が突きつけられました。
私は、数値を設定している”つもり”になっていただけだったんです。
「毎日やる」「高める」「割る」。これ、全部、主観が入り込む言葉です。どれくらいやれば「毎日」なのか、何をもって「高まった」と言えるのか。その定義を曖昧にしたまま、私は「頑張っている自分」という感覚にだけ浸っていました。
要するに、やる気の問題じゃありませんでした。思考の構造がおかしかったんです。
形容詞を捨てろ、という教え
この本で一番頭を殴られたのは、「形容詞、形容動詞、副詞を捨てろ」という箇所でした。
私たちは無意識に「もっとちゃんとやります」「質の高い指導をします」って言います。意欲的に聞こえます。でも実は、これって思考停止の罠なんです。基準がその日の気分で変わるから。
例えば「指導力を高める」。数値化しないと、「今日は優しく声をかけたから、指導力上がったかな?」って、自分の感情で評価が決まります。これじゃ改善のしようがありません。
本書は、こういう曖昧な言葉を全部数字に置き換えろと言います。「指導力を高める」じゃなくて、「週に1回、30分のフィードバック面談を欠かさず行う」といった具合です。
数字に変換した瞬間、逃げ場がなくなります。やったか、やってないか。そこにあるのは「事実」だけです。
私はこれまで、数字を「他人から評価されるための冷たい道具」だと思っていました。でも違いました。数字は「自分を迷わせないための道具」なんです。
「数字にできないことは、改善できない」
この一文を読んだとき、これまでの足踏みの原因が腑に落ちました。形容詞で語っているうちは、自分をいくらでも誤魔化せます。でも数字で語り始めたとき、初めて「現実」と向き合うスタートラインに立てるんです。
確率を都合よく解釈していた
数値化の重要性に気づいた後、次に待っていたのは「確率」の罠でした。
なぜ私の英語学習は続かなかったのか。振り返ってみると、私はやってない日を可視化したくなくて、ログを取っていませんでした。週に何回やったか、何日サボったか。そういう記録を残すと、自分の怠けが数字として突きつけられる。それが怖かったんです。
だから「なんとなく勉強を続けてる」という感覚だけ味わっていました。「週に2〜3回はやってるから、まあ続いてる方だろう」って。
こういう自己評価のズレは、すべて「分母(行動量)」を無視して「分子(成功・継続)」だけを見ようとする姿勢から生まれます。私たちは失敗を嫌うあまり、確実にできそうな時だけやろうとして、結局は行動量を減らしてしまいます。
本書の教えに従うなら、まず「週に7回、必ず机に向かう」という絶対的な分母を固定することから始まります。ここで重要なのは、数字を「感情から距離を置くための装置」として使う視点です。
「今日は疲れてるからやりたくない」という感情と、設定した数字を天秤にかけるんじゃありません。感情を横に置いて、ただ数字というルールに従う。
「確率が低いのは、能力が低いからじゃなく、分母が足りないだけだ」
そう思えるようになると、失敗への恐怖心が和らぎます。10回やって1回しか成功しないなら、100回やればいい。それだけのシンプルな話になります。
「まあ続いてる」という自己満足の霧を数字で払って、分母を受け入れる。それが、自己啓発ループから抜け出す道なんだと痛感しました。
数値化してみて初めて分かったこと
本を読んだ後、私はまず英語学習の目標を変えました。「毎日英語のYouTubeを最低1分は見る」。たった1分です。こう決めてから、iPhoneのメモアプリに「今日は英語の勉強をした」とログを残すようにしています。単純に「やった」と書くだけ。
最初は「1分なんて意味あるのか?」と思いました。でも、やってみて驚いたのは、1分のハードルの低さです。「今日は疲れてるからいいや」という言い訳が通用しなくなりました。どんなに疲れていても、1分なら見られる。
そしてもう一つ。ログを残すという行為が、予想以上に効きました。メモアプリを開いて「やった」と書く。ただそれだけなのに、自分が本当に続けているという実感が持てるんです。以前は「なんとなく続けてる」という曖昧な感覚でしたが、今は「13日連続でやった」という事実があります。
数値化してみて初めて分かったのは、自分がいかに曖昧に生きてきたかということです。「ちゃんとやる」を「毎日1分」に変えただけで、景色が変わりました。
まだ手付かずのものもある
正直に言うと、部下への指導力と腹筋の話は、まだ手付かずです。
英語学習を数値化して続けられるようになったことで、「次は何を数値化しようか」と考えられるようになりました。でも、まだ実行には移せていません。英語学習という小さな成功体験はありますが、それ以外は「これから」の状態です。
「夏までに腹筋を割る」をどう数値化するか。「部下への指導力を高める」をどう数値化するか。この本を読んで、その「型」は理解できました。でも、理解と実行の間には、まだ距離があります。
ただ、以前と違うのは「どう数値化すればいいか分からない」という迷いではなく、「数値化すればいい」という道筋が見えていることです。英語学習で小さく成功できたのは、「毎日1分」という極端に低いハードルと、「メモアプリに書く」というシンプルなログだったから。
この型を、他の目標にも応用できるはずです。腹筋なら「毎日1回だけ腹筋運動をする」、部下指導なら「週に1回だけ5分の声かけをする」。そんなふうに、まずは分母を確保することから始めればいい。
完璧じゃなくていいんです。むしろ、完璧を目指すから動けなくなる。まずは「1」から始める。それがこの本から学んだ、最も大きな教訓です。
数字の先に現れる「自分らしさ」
ここまで読むと、「数字ばかり追いかける人生って息苦しくない?」って思うかもしれません。でも本書が終盤で触れているのは、むしろ「数値化の限界」を知ることの大切さです。
仕事のやりがいとか、人との絆とか、数値化できないものはあります。でも、だからこそ「数字にできる部分」を徹底的に数値化しておく必要があるんです。
やるべきことを数字で管理して、迷いなく行動を積み重ねる。そのプロセスの果てに、数字では測れない「独自性」がにじみ出てきます。
本書のメッセージは、「数字は個性を殺すためのものじゃなく、個性を発揮するための土台を作るもの」だと私は解釈しています。
最初から「自分らしさ」や「質」を追い求めると、結局は曖昧な世界に逆戻りしてしまいます。まずは数字という規律の中で、徹底的に型を作る。達成感ややりがいは、その数字をクリアした後に自然とついてくる報酬として、最後に置いておく。
この「余白」の残し方こそが、本書の深みだと思います。
曖昧さという病を処方する
『数値化の鬼』を読み終えて、私の中に残ったのは「計算が得意になった」という感覚じゃありません。自分の思考がいかに「曖昧さ」という病に侵されていたかという、健全な危機感でした。
この本は、単なる管理術のハウツー本じゃありません。「なんとなく頑張ってる」という自己満足の殻を破って、現実という公平な舞台に立つための「思考の整頓術」です。
もし「努力してるはずなのに、景色が変わらない」という焦りを感じているなら、この本は最高の相棒になるはずです。
ここでは書ききれなかった「変数」の見つけ方や、PDCAを回すための具体的なロジックなど、一冊通して読むことで初めてつながる論理が数多くあります。断片的な知識じゃなく、一つの思想としてこの本を飲み込んだとき、明日からの行動は、手触りのあるものへと変わっていきます。
数字は敵じゃありません。私たちの情熱を、正しく目的地へと運ぶための「唯一の共通言語」なんです。
私もまだ道半ばです。英語は続けられるようになりましたが、部下指導も腹筋も、これからです。でも、少なくとも「どう進めばいい か」は見えています。形容詞を一つずつ数字に変えていく。完璧じゃなくていい。ただ、曖昧さから少しずつ距離を置いていく。
それだけで、きっと何かが変わり始めるはずです。

